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人は誰しも『不幸』になりたいと思っている人は居ないと思う。


この世知辛い世の中、理不尽に理不尽が重なり、連鎖的にその『負』の思考が溢れかえっている時、その『負』の感情になってしまった時、人はそこから這い上がる為には、相当な努力が必要な場合がある。


むしろ『努力』をしても、どうにもならないと言う場合もある為、考えれば考える程に『不幸』の連鎖は更に深まっていく事があるため、更にどうすれば良いのか解らなくなっていく。


ネガティブ思考は、とことんネガティブを増大させていく


しかし、そんな『負』の感情や思考も、自身では解決出来ない事でも、ふと周りの人の何気無い『一言』が、もがき苦しんでいた事が、アッサリと解決・・・とまでは行かないが、それに近い感情や思考に向かい、何か解決策が見出だせると言う場合も少なくない。


ネガティブになっている時、周りに『ポジティブ』思考な人が居た場合、そんな雰囲気にのまれて、自分自身もポジティブな気持ちになれる場合もある


そんな存在の『雰囲気』と言うのは、周りのネガティブな雰囲気まで、ポジティブな雰囲気にしてくれる傾向がある


いわゆる『ムードメーカー』と言う類いに似ている様な気がする


ただ、逆のケースもあって、ネガティブ思考な人に、ポジティブ思考を語っても、更に『ネガティブ』になってしまう場合もある・・・

こればかりは『多岐』に別れるので、人の思考心理は難しい


例えば『もう既に全力で頑張っているのに、それでも尚且つ苦痛を感じている』と言う場合、『頑張れ』と言う言葉はタブー。


もし自分がそんな状況下で『頑張れ』なんて言葉を言われたとしたら・・・・・



『これ以上何を頑張れと言うんだよ!』



なんて考えが増大して、逆に頑張るのを止めてしまう


人様の『思考』や『心情』と言うのは、その人にしか解らないと言うのが事実で、そんな相手に対して、安易に『頑張れ』は、逆に苦痛を増大させる言葉になる。



自分自身、各々の人の気持ちや感情とは、人によって微妙に違うので、人の気持ちが解ると言う言葉は、否定派の人間です。


よく、『その気持ち、凄く解るよ』なんて言う人が居るけど、ぶっちゃけそれは『相手の気持ちが解る』という事ではないと思う。


何故ならその時の心情は、その本人にしか解らない事情が有るから。

かと言って、『その気持ち、凄く解るよ』を否定するとしても、それにもまだ完全に『否定』と言う判断にはなれない。


矛盾した話だけど、『その気持ち、凄く解る』と言う相手は、少なからず『類似』の心情になった事があるから、そんな言葉を発する場合が多いから。

(中には、何も解らないのに、何でもかんでもその言葉を安易に使用する人も稀に居ますけど・・・・・)


ただ、それは『類似』なだけで、『同一』では無いと言うことは事実で、その言葉には、実は多大な責任が有る。


話は随分ずれてしまいましたが、ネガティブ思考を軽減、或いは解決する糸口とは、自ずと周りの人にもよると言っても過言ではない。


少なからず『独り』で考えるよりも、周りの人とその『解決の糸口』を探る事も、解決の近道になる事も有るから。




『幸せ』と言うモノを実感するのは難しい。


だけど、その僅かな『幸せ』を掴む事を実感する為に、人は懸命に生きている人が多い。


辛い日々、苦しい日々を送っている中で、僅かでも、小さくても『幸せ』を実感出来たら・・・そんな思考になれたら、後は僅かに芽生えた『ポジティブ思考』を、如何にして増大させていくかに掛かっている。


そんなキッカケ、そしてそれをサポートしてくれる様な存在は、とても重要になる。


人は、そんな『存在』と巡り会った時、自ずと自分自身に対して『自信』を持てる様になっていくんだと思います。


少なくとも、今までの『負』の感情や思考が、軽減される事が多いから


そんな『存在』に巡り会うのは、正直難しいし、無理なのかもしれない・・・



ただ1つ言えるとしたら、そんな『存在』と、いつか巡り会った時、人は『幸せ』への道を歩み始めるのかもしれない。








あなたには、そんな『存在』が居ますか?







今はそんな『存在』に巡り会えてなかったとしても、いつかそんな『存在』と巡り会った時、あなたの今後の人生は180度変わるかもしれませんね。








『I  wish  you  every  happiness.』







あなたの幸せを、祈ってます。